気づきは本質の自分である光 - 二元と非二元、私と本質の私のあれこれ

気づきは本質の自分である光

光の森




去年の3月に、こちらFC2ブログにお引越ししてきたときは

静から動へという、むずむずするような勢いを感じていました。

何故か、フォーカスがそちらへと向かっていたのでした。

それから1年と4か月

その間もずっとここなので、そういう時間が過ぎて行った自覚はとんとないのですが

フォーカスの変化は明らかにあったと感じています。

ただそれも、さまざまに起こった末に、どうにもまた元に戻っています。



こちらで始めた当初は、言葉を使ってできる可能性のようなことを感じていたようで

書きたいことも、まだたくさんあったように思うのですが

全部が全部、通り過ぎてしまって、もう戻って来ません。

自我でいるうちは、すべてを掴んで自分の価値を量りたいのですが

本質にあるとは、その自我がもうそこに主張してくることがないので

逆にまったく掴むことはできません。

やってくることはそのまま流れ去り、ここに残されません。

ただその刹那を観ている存在としてあるだけです。



私たち人は、その意識の向く方向、その焦点(フォーカス)にエネルギーが注がれて

そこに見たいものを起こす(創造する)ものです。

良いも悪いも、大きいも小さいも、遠いも近いも、何も関係なく

ただそのように起こされるのです。

その意識の方向性が続く限り、ここでさまざまに体験が続くのです。

mananaは、一旦は書くこと表現することにフォーカスが向きましたが

それも通過して、またもっと純粋なところへと意識が向かい始めています。

そうやってひとつことに満足することでその思いが成仏して

また次へと向かうのです。

そしてすべてが済んで、魂の思いや願いといった何らかがあったとして

それらがすっかりと成仏したなら、自我はゼロへと消え去るのみです。

この世は無常であり、私は居ない。

ただ命の灯の終わるまで、ここで愛そのものであるでしょう。



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あなたは今、何に向かっていますか?

本質である純粋なところには判断はないので

表層の考えで何を思おうと、潜在的にどんな信念や観念が潜んでいるかで

私たちの目の前に広がる世界は決まってくるのです。

多少のネガティブを思ったとしても、潜在的に何もないならそのままの安心が起こされますし

如何にポジティブを願ったとしても、ネガティブな原体験から得た自己規制が厳しいなら

その結果しか起こされては来ないものです。



真に願うことが起こされるようになるには

ほんとうに見たいものが見れるようになるには

その根っこのネガティブな体験から得た、観念、信念、価値観、思い、などなど

それらに気づいて落としていかなければなりません。

気づきは本質の自分である光であり、エネルギーそのものですから

気づかれた記憶は光に照らされて、闇を失うのです。

闇は光によって浄化昇華されるのをただ待っているのですから。









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