「許す」ということ - 二元と非二元、私と本質の私のあれこれ
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「許す」ということ


光




今朝方、こむら返りが起こりました。

人生初のこむら返り~

一瞬うわっと目が覚めて、すぐに対処しました。

左ふくらはぎだったので、右かかとで思い切り左のつま先を手前に引いて

もう、力任せに引いたら治りました。

水分とかミネラルが足らなかったかも(゚m゚*)プッ

こむら返りはふくらはぎが強く収縮する痛みなので

逆に伸ばす力を加えることで治ります。



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「許す」ということは、受け入れることです。

許すことは認めてあげることであり

それは手放すことです。

そして許すことは気づくことでもあるのです。

その瞬間、それらすべてが同時に起こります。

世界は「いち(ひとつ)」ですから。

そのとき、世界は愛に、光に満たされていたと気づくでしょう。



「許そう」と思っても許せないかも知れません。

頭で考えることと、心で感じていることが違っているからです。

心は許せないと言ってるのに、頭で許すと言っても、それは叶いません。

許せないのに許そうとすれば、心は葛藤するでしょう。

頭もそんなのはダメ、良いわけがないと、騒がしいことでしょう。

そこに飛び込もうとすれば、怖さで震えるかも知れません。

これは「許す」ことだけでなく、どんなことでもそうです。

自分が信じていることと反対のことをしようとしたとき

心は恐れで震えます。



そのとき、自分自身の内側で、ほんとうは何を信じているかが見えてきます。

自我でいることは無意識なので、普段それは当たり前すぎて見えません。

自分自身の思い込みの逆のことをしようとしたとき

ほんとうに何を信じ、何を決めているのかが見えてくるでしょう。

その信じていること、自分で決めたことが、あなたの世界を作っています。

決めるということは、信じ込んで他の可能性を否定していることです。

ここに不自由があって、ここに困難があるのです。



決めたことと反対のことをしようとしたときの恐れは

あなたの心のありようを映し出しているので

ほんとうにはどうしたいと思っているのか

表層で、顕在意識でしたいと思っていることと、それは逆なのでした。

それを知って、あえて恐れを恐れのままに見つめていったとき

もしそれができたなら、恐れは溶けて消え去ることでしょう。

一度で消えないこともあるかも知れません。

そのときは、それが上がってくるたびに、何度も何度も

あきずに、あきらめずに、それを見つめていくことです。



これは感じきるということとも少し違っています。

視点が違っているのです。

感じきるのは、どっぷりとその痛みや恐れに浸っていますが

見つめることは気づくことですから

一歩引いた視点から、ある意味客観的な視点から、見つめます。

自分が心の奥底で何と言い続けているのか。

その声に気づいていくことです。

「ハタと気がつく」ときがそれです。

そして「ああそうだったね」と、認めてあげることであり

それじゃいけないと反論しないことでもあるのです。

それが許すこと、手放すこと、気づくことなのです。

繰り返しそれに気づいていくことで、心の平穏は少しづつ大きくなっていくでしょう。

そうやって、以前の自分では信じられないような地点にたどり着くのです。








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