自我の引力圏を超えること - 二元と非二元、私と本質の私のあれこれ

自我の引力圏を超えること


光る木



本来の自分自身であるところの、純粋な意識に目覚めること。

それを覚醒とか悟りとかシフトとかって呼ぶわけですが

これはそもそも、絶対的にここにあり続けている私たちそのものですから

ほんとうは誰もが気づかないはずもないくらいに、いつでもここにあります。

こちらが本体で、頭の中の考えや体や周囲のあれやこれやの方が、現されている側なのです。

けれどもその本体はそもそもしゃべりませんから

頭の中でしゃべっている方に、圧倒的に存在の実感のようなものを奪われているわけです。

なので、mananaのレゾナンスセッションでは、まず静かになることを促します。

他のいろいろな覚醒悟り系のセッションや手法も、そのためにあるようなものです。



けれども、静かになるどころか、多くの人たちは頭のおしゃべりが大きすぎて振り回されます。

そこで、ヒーリングや、ここでも一部紹介しているさまざまな手法を使って、それを少なくしようとするわけです。

それが自我(エゴ、私が私がと主張する思考)です。

けれども、これまでも書いてきましたが、決して自我が悪いわけでも必要ないわけでもありません。

それは目的を持ってここへと現されてきた、本質の自分自身である完全性からの表現であり

ここで生きるためには絶対的に必要な、なくてはならない機能なのです。

なのでどんな思考も感情も(恐れ、苦しみ、嫉妬、憎しみ、悲しみ、喜び、、)すべてが完全性そのものです。

完全な自分自身から発して、完全な自分自身へと帰っていく道筋の一コマですから。

決してその途中が不完全なわけではないのです。



その恐れや苦しみの中にあるときに、そこから逃れたいと願う気持ちや

ほんとうの自分自身を知りたいと思い始める心。

その発露は、本質そのものから起こります。

私たちは本質そのものですから、それしかありえないのです。

ここで起こることは、すべてが完全性の中で起こり、すべてが安全そのものです。

肉体や心が傷ついたり病気や事故にあったりしても

本質の自分は、決して傷ひとつ付きません。

辛い苦しいと言ってくる自我(頭の声)に気づくために、それらは起こるからです。

その頭の中で言ってくる声に気づくこと。

それが自我の引力圏を超えることであり、覚醒悟りと呼ばれることですが



そこを超えてしまうと、もう

世の中でイメージされている覚醒悟りとは、これほど違うことかと感じるほどです。

このワードは神聖視され、特別視されて

その人は聖者、覚者と呼ばれて、普通の人ではなくなっていて

普通の私たちには手の届かないことのように思われがちですが

決してそうではなく、逆にこれほど普通、自然のことはないと感じるのです。

草木が風に揺らぐほどに普通のことです。

草や木が風にゆらぐことが、特別と感じる人はいないと思います。

(それが奇跡と感じるほどの感受性の豊かさとは別にして、、、)

逆に自我のありようの方が、特別なのです。

それがそれに気づくことを目指しているために、あえて普通でないありようを体現しているのです。



何となく感じる違和感から始まって、

胸苦しさ、ぎゅうっと収縮する感覚、

心配で居ても立っても居られない感覚、

怒りで血が逆流するかのような感覚、

憎しみで頭が燃えるような感覚、、、

それらはすべてが普通ではないので

普通の感覚からするととても目立つので

そこから探りなさいよ、見つけなさいよ、気づきなさいよと

お声がかかっていることなのです。



 ******



長くなったので、後半は明日また。








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