鏡から我を取ると ~自分を知る旅の始まり - 二元と非二元、私と本質の私のあれこれ

鏡から我を取ると ~自分を知る旅の始まり


つつじ




鏡から我を取ると

(“かがみ” から “が” を取ると)

かみ(神)が現れます。

世界が自分自身のありようを映し出す「鏡」なら

自分自身から「我」を取り除いてみたら

世界には「神」の姿が映し出されるのです。

神とは、生き生きと美しい、命のありようであり

この全体性そのものです。

世界に現われてくる、この奇跡の現象は

そもそも何の意図もなく、ただ現されてきます。

それが自然さそのものですから。

(特定の宗教の話ではありません。太古から人が恐れうやまう対象だった、山や気象、季節などの象徴であった自然神のお話です)



それはつまり、人の頭の中に住む

「私が」「私が」と言い募る自我性だけが

自然さ(神)となじまない性質だということです。

けれどもこれは、自我を否定するものではありません。

何故なら自我とは

その自然さを自然なままに観る素晴らしさを知るために

わざわざ不自然さとして、ここに現されて来たものだからです。

自然さの中の不自然さは、違和感となるものです。

こうして、違和感として目立つことで見つけやすいように

わざわざ仕組まれてきたことなのです。



あなたも心の中で、違和感を感じることがありますね。

重たい感じ、暗い感じ、ずーんと響いたり、突き刺さるような痛みだったりする

それらがしるしです。

頭の声ではなくて、その違和感を見つけて見つめます。

そのときもちろん、頭の声はいろいろしゃべっているでしょう。

そちらを自分と信じて振り回されるのではなくて

その声は置き去りにして、ちょっと脇に置いて、あるいは無視して

心に湧き上がる違和感を見つめ、その根っこを探ります。

味わいきるとか言いますが、それよりも見きることです。



これはとても怖いことかも知れません。

わくわくすること、楽しいことを見つけようとする方が楽でしょう。

けれども、いくらそれをしても物事が何も好転しないと感じる人たちがいます。

わくわくを見つけようにも、恐れが強すぎて無理な人もいます。

お金を使えば使うほどに循環して帰ってくると信じても、帰ってこない人もいます。

それはこの、不自然さが知らせようとしている違和感にふたをしてしまうから。

ふたをして見ないことにした古い記憶は、脳のひだの深いところでくすぶり続けるから

そもそもの原因が消えてなくならないので

そこ「原因」から生まれる「結果」という現象が湧き出し続けることになるのです。

それはある意味、幻想世界の約束事のようなものです。



ほんとうはこんなことも全部が全部、エネルギーであり

ただの記憶にすぎない幻想です。

そこがスポンと理解されてしまえば、そんなものはなかったと分かりますが

それまでは頭の中のおしゃべりがほんとうのように感じます。

そこで苦しむことを止めるには

ただそれに、その根っこに気づけるかどうか。

あなたの意識がそこに向かおうとするかどうか。



私はそれ(苦しみ、恐れ)じゃない。

私を知りたい。

苦しみや恐れから卒業したい。

そんな意識のめばえが、あなたの方向性を変える鍵なのですね。

私たちは意識そのものですから

その意識が向かう方向に、光が投げかけられるのです。

それはあなたが行く道を照らす光となって

そこから少しづつ、自分を知る旅が始まるのです。







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