すべての物ごとが意味を失うとき - 気づきのために、あるいは浄化の手法など、自分でできること

すべての物ごとが意味を失うとき


かまきり




今、あなたの目の前にある何かしらの物

コーヒーカップでも、ティッシュボックスでも

ノートでも、ペンでも良い。

その何かしらの物が、幻想ではないかしらと

疑ってみたことって、ありますか?

少し時間があるときに、試してみてはどうかしら。



そこに物がある。

そのリアルさに疑いを差し挟む余地がなかったとしても

そう思い込んでいることに

異議を唱えてみること。



そのカップでもペンでも

私たちは、見る(視覚)、触る(触覚)、匂う(嗅覚)、味わう(味覚)、聞く(聴覚)の

五感を複合的に使って、それを確かめています。

一番最初の物との出会いは、赤ちゃんのとき。

見るだけでなく、触って、落として、口に入れて、匂って、聞いてと、フルに五感を使って確かめます。

その原点体験があって

お母さんとの会話があって

それらの体験記憶から、その物の認識を深めていくのですが



この五感を使った確認というのも

実は脳の中では、複数の情報を組み立てて結果を推測するという働きが起こっているわけです。

それはつまり、想像することです。

これとこれの情報がこうだから、おそらくこういう物なんだなあ。

という、足らない情報を補足したり、推測したりすることをファジー機能なんて呼んだりします。

それが発端で、その体験の積み重ねで確立されていくのです。

私たちの感覚記憶は、すべてそういう積み重ねで確たるものだと類推するということが行われているわけです。



さて、テーブルの上のカップとかペンですが

改めて見つめてみましょう。

そして上に書いたような類推の結果の知識を、一旦全部脇に置いてみるということをしていきます。



それについての記憶

例えば、色、模様、大きさ、手触り、形。。。

それに加えて、それを買ったときの情景、情報などの記憶。

それから色彩効果による影響を、こうだと決めている記憶。

光とか影とかね。

それは物を立体として感じるための情報記憶ですから。



目の前のそれを見つめながら

それについて知っていることを、ひとつづつ

これは記憶だ、これは知識だ、これは前提だったと

順に脇によけて行きます。

その物についての記憶をはぎ取ることは、それを裸にしていくことですが

じっくりと時間をかけて、自分と対話しつつやってみましょう。

ただ純粋に、どんどんはぎ取ることをしていくならば

やがてその物に関する言葉が、出てこなくなる時点がやってくるでしょう。



さて、裸になったモノたちは、いったいどんな感じでしょうか。



もしかしたら、ただそこにあるだけではないでしょうか。



それは何の意味も持たず

何の判断もなく

何の重さも持たない

ただ色分けされた空間の一部、とでもいうような。



どんどんそんな感じに近づいていくのではないでしょうか。

そしてそのとき頭の中は、限りなく言葉が薄まっているか

無くなっているか。。。

ほんの一瞬でもそういう感覚を得ることがあれば、大きな一歩です。




もしそこに気づいたならば、それが純粋なあなた自身の意識、在る、気づき、なのです。

ここには何の苦も存在しえません。

限りない、安堵の世界です。



このように自分自身と対話しつつ、言葉をはがしていくことで

すべての物ごとが、すっかりと意味を失っていくことを体験するかも知れないのです。






これは、グレック・グットの「ダイレクトパス」を

mananaの理解で説明してみたことです。













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